問題講評【日本史A】
1.総評
- 【2014年度センター試験の特徴】
-
・現代の社会を歴史的な観点と結び付けて考える出題が目立った。
・人物史が復活し、手塚治虫をテーマとした大問がみられた。
・昨年はみられなかった19世紀前半からの出題が復活し、戦後史の出題は減少した。
・資料の読解力を求める出題が多く見られたが、昨年同様に地理的な要素を問う出題は1問にとどまった。
・難易は昨年に比べてやや易化した。昨年はみられなかった前近代からの出題が復活したが、現行の学習指導要領のねらいに沿って近現代重視が踏襲された。また、インターネットの普及や東京オリンピック、手塚治虫の漫画など身近な話題と歴史を結び付けた出題や、『寒村自伝』など目新しいものも含めてさまざまな史・資料が使用され、受験生の読解力を問う出題もみられた。全体としての難易は、受験生が苦手とする社会経済史からの出題が減り、政治史・外交史からの出題が増えたことから、昨年よりやや易化した。
2.全体概況
【大問数・解答数】 | 大問数6、解答数34個は昨年から変更なし。第3問・第5問は日本史Bとの共通問題。 |
---|---|
【出題形式】 | 出題形式は6択の年代整序問題、語句組合せ問題が増加し、文章選択問題が減少した。『幕末日本探訪記』、東京オリンピックの新聞記事、東亜競技大会の写真、全国中等学校優勝野球大会の新聞記事、1875〜1915年度の主要租税収入の表、手塚治虫の漫画などの資料が用いられた。 |
【出題分野】 | 幕末期を含め、近現代史中心の出題で、昨年はみられなかった19世紀前半からの出題がみられ、戦後史からの出題が減少した。また政治史と外交史が増加したが、社会経済史が減少し、文化史からの出題は昨年並であった。 |
【問題量】 | 昨年並。 |
【難易】 | 昨年よりやや易化。 |
3.大問構成
第1問 | |||
---|---|---|---|
出題分野・大問名 | 配点 | 難易 | 備考 (使用素材・テーマなど) |
近現代におけるメディアの発展 | 8点 | やや難 | 日本史におけるメディアの発展に関する大学生の会話文(『寒村自伝』、東京オリンピックの新聞記事、東亜競技大会の写真、全国中等学校優勝野球大会の新聞記事) |
第2問 | |||
出題分野・大問名 | 配点 | 難易 | 備考 (使用素材・テーマなど) |
近世後期から明治初期の政治・社会 | 18点 | 標準 | A 幕末の政治・外交(『幕末日本探訪記』) B 幕末から明治初期の政治(地図) |
第3問 | |||
出題分野・大問名 | 配点 | 難易 | 備考 (使用素材・テーマなど) |
明治期の租税制度 | 12点 | 標準 | 明治期の社会経済・外交(主要租税収入の表) |
第4問 | |||
出題分野・大問名 | 配点 | 難易 | 備考 (使用素材・テーマなど) |
明治期の宗教と社会 | 15点 | やや難 | A 明治期の文化 B 明治期から大正期の文化・外交 |
第5問 | |||
出題分野・大問名 | 配点 | 難易 | 備考 (使用素材・テーマなど) |
手塚治虫と近現代の政治・社会経済 | 23点 | やや難 | A 昭和初期の社会経済・政治 B 昭和初期から太平洋戦争にかけての外交・社会経済(手塚治虫『紙の砦』 C 戦後の政治・社会経済(手塚治虫『ぼくはマンガ家』) |
第6問 | |||
出題分野・大問名 | 配点 | 難易 | 備考 (使用素材・テーマなど) |
1920年代以降の日本の政治・外交 | 24点 | やや難 | A 1920年代後半以降の政治・外交 B 1930年代後半以降の政治・外交・文化 C 戦後の政治・外交 |
4.大問別分析
第1問「近現代におけるメディアの発展」
● インターネットの普及という現代的な話題から、日本史におけるメディアの発展について大学生が考察するという設定のリード文で、政治・文化が出題された。身近な話題から歴史を考察させるという現行の学習指導要領に則したリード文であった。やや細かい知識が問われ判断に迷う出題もあったため、全体としてやや難しかった。
● 問2では、史料中に波線がひかれ、それと設問を関連付けて出題するという日本史Aとしては新しい形式の出題であり、さらに1903年の小学校の就学率というやや細かい事項まで問われたため、解きにくかったであろう。
● 問3では、昨年もみられた図版を使用した年代整序問題で、東京オリンピックの新聞記事、東亜競技大会の満州国選手入場の写真、全国中等学校優勝野球大会を若槻礼次郎首相が観戦している様子を報じる新聞記事が使用された。東京オリンピックが戦後であることは判断しやすいが、満州国と若槻礼次郎首相の判断に迷った受験生もいたであろう。
第2問「近世後期から明治初期の政治・社会」
● Aは『幕末日本探訪記』の史料を使用して幕末の政治・外交、Bは幕末から明治初期の政治について出題された。日本史Aの受験生にとってはなじみの薄いペリー来航以前の内容も問われたが、基本的な問題も多かったため、総合的にみれば標準的な難易であった。
● 問1では、資料から鳴滝塾を想起してシーボルトを選ぶ必要があり、また問2でもフェートン号事件やビッドル来航の時期判別の知識が必要とされた。日本史Aではあまり扱われないペリー来航以前の出来事であるため、受験生にはなじみが薄く、判断に迷ったであろう。
● 問3では、水野忠邦の上知令について出題された。近世の出来事であるため、戸惑った受験生もいたであろう。しかし、水野忠邦は日本史Aで2012年度に出題され、2013年度でも阿部正弘の誤答選択肢として出題されているため、事前の演習量によって差がつく問題と考えられる。
● 問5は、文章と地図の組合せ問題で、幕末の諸藩の動きについて問われた。Xは西郷隆盛や大久保利通のキーワードから薩摩藩を想起し、その位置を地図上から選ぶことが求められたが、九州をさしている選択肢は1つであったため、判断しやすかったであろう。また、Yは文章中の「戊辰戦争の激戦地」という語句から箱館(函館)と迷った受験生もいたであろうが、松平容保が会津藩主であることがわかれば、正答を選ぶことができた。
● 問6では、明治新政府の政策について出題され、政策の名称とその内容の正しい理解が求められた。選択肢はすべて基本事項であるため、積極的に正答を選べたであろう。
第3問「明治期の租税制度」
● 日本史Bとの共通問題。日本史Aとしては、標準的な出題であった。詳細は日本史B第5問参照。
第4問「明治期の宗教と社会」
● Aは明治期の文化、Bは明治期から大正期の文化・外交について出題された。受験生が苦手とする自然科学や社会運動の知識を問うものもあったため、全体としてやや難しかった。
● 問1は、ヘボンと浦上信徒弾圧事件の語句組合せ問題であった。空欄アではリード文中の「宣教師」という語句から、建築家のコンドルが誤りであることを判断する必要があった。また、空欄イでは、「長崎」という語句から出島を選ぶのではなく、リード文をよく読み、空欄の前後が浦上信徒弾圧事件をさしていることを想起する力が求められた。
● 問2は、明治期の教育や医療・衛生に関する文章選択問題であった。コレラの流行や北里柴三郎などの事項は、ふみ込んだ学習が必要な内容であり、判断に迷った受験生もいたであろう。
● 問3は、明治期の社会・言論・文芸に関する文章選択問題であった。日本初の社会主義政党が社会民主党であることは基本事項であるため、取り組みやすかったであろう。
● 問5では、日清・日露戦争前後における日本の外交に関して出題された。現行の学習指導要領にある「世界の中の日本」に則した出題といえる。日清・日露戦争の背景や結果を想起できたかがポイントであり、差がつく問題と考えられる。
第5問「手塚治虫と近現代の政治・社会経済」
● 日本史Bとの共通問題。日本史Aとしては、やや難しい出題であった。詳細は日本史B第6問参照。
第6問「1920年代以降の日本の政治・外交」
● Aは1920年代後半以降の政治・外交、Bは1930年代後半以降の政治・外交・文化、Cは戦後の政治・外交について出題された。高度な知識が求められ判断に迷う出題もあったため、全体としてやや難しかった。
● 問1は、協調外交を推進した外相である幣原喜重郎と、政党内閣が終わるきっかけとなった五・一五事件を選ばせる語句組合せ問題であった。両方とも基本事項であるため、積極的に正答を選べたであろう。
● 問2では、ワシントン海軍軍縮条約とロンドン海軍軍縮条約に関する2文の正誤判別問題が出題された。Yの立憲政友会でやや迷った受験生もいたであろうが、リード文中の立憲民政党をきちんと読んでいれば、立憲政友会が野党であるため誤りと判断できた。
● 問3では1930年代の思想・言論への統制について出題された。滝川幸辰、人民戦線の結成は昨年も出題された事項であったが、受験生が苦手とする分野であるため、事前の演習量によって差がつく問題と考えられる。
● 問4は、日中戦争から対英米開戦までの日本の対外政策に関する年代整序問題であった。日ソ中立条約や日独伊三国同盟(三国軍事同盟)の時代判別は難しく、苦戦した受験生も多かったであろう。
● 問5では、アジア太平洋戦争(太平洋戦争)期の国民生活に関して出題された。aの小学校が国民学校に改められたという知識はやや細かいが、正しい内容の文章であるb・cが基本事項であるため、難しくなかったであろう。
● 問7では、サンフランシスコ平和会議について出題された。Xの会議に不参加だった国や調印した国などに関する知識は入試でも頻出事項であるため、きちんと整理できていれば難しくない。しかし、Yの小笠原返還の時期判断は難しかったため、差がつく問題と考えられる。
● 問8では、1950年代から1970年代にかけての政治・外交について出題された。55年体制で合同した政党は基本知識であるが、戦後からの出題であるため、学習が追いついておらず苦戦した受験生もいたであろう。
● インターネットの普及という現代的な話題から、日本史におけるメディアの発展について大学生が考察するという設定のリード文で、政治・文化が出題された。身近な話題から歴史を考察させるという現行の学習指導要領に則したリード文であった。やや細かい知識が問われ判断に迷う出題もあったため、全体としてやや難しかった。
● 問2では、史料中に波線がひかれ、それと設問を関連付けて出題するという日本史Aとしては新しい形式の出題であり、さらに1903年の小学校の就学率というやや細かい事項まで問われたため、解きにくかったであろう。
● 問3では、昨年もみられた図版を使用した年代整序問題で、東京オリンピックの新聞記事、東亜競技大会の満州国選手入場の写真、全国中等学校優勝野球大会を若槻礼次郎首相が観戦している様子を報じる新聞記事が使用された。東京オリンピックが戦後であることは判断しやすいが、満州国と若槻礼次郎首相の判断に迷った受験生もいたであろう。
● Aは『幕末日本探訪記』の史料を使用して幕末の政治・外交、Bは幕末から明治初期の政治について出題された。日本史Aの受験生にとってはなじみの薄いペリー来航以前の内容も問われたが、基本的な問題も多かったため、総合的にみれば標準的な難易であった。
● 問1では、資料から鳴滝塾を想起してシーボルトを選ぶ必要があり、また問2でもフェートン号事件やビッドル来航の時期判別の知識が必要とされた。日本史Aではあまり扱われないペリー来航以前の出来事であるため、受験生にはなじみが薄く、判断に迷ったであろう。
● 問3では、水野忠邦の上知令について出題された。近世の出来事であるため、戸惑った受験生もいたであろう。しかし、水野忠邦は日本史Aで2012年度に出題され、2013年度でも阿部正弘の誤答選択肢として出題されているため、事前の演習量によって差がつく問題と考えられる。
● 問5は、文章と地図の組合せ問題で、幕末の諸藩の動きについて問われた。Xは西郷隆盛や大久保利通のキーワードから薩摩藩を想起し、その位置を地図上から選ぶことが求められたが、九州をさしている選択肢は1つであったため、判断しやすかったであろう。また、Yは文章中の「戊辰戦争の激戦地」という語句から箱館(函館)と迷った受験生もいたであろうが、松平容保が会津藩主であることがわかれば、正答を選ぶことができた。
● 問6では、明治新政府の政策について出題され、政策の名称とその内容の正しい理解が求められた。選択肢はすべて基本事項であるため、積極的に正答を選べたであろう。
第3問「明治期の租税制度」
● 日本史Bとの共通問題。日本史Aとしては、標準的な出題であった。詳細は日本史B第5問参照。
第4問「明治期の宗教と社会」
● Aは明治期の文化、Bは明治期から大正期の文化・外交について出題された。受験生が苦手とする自然科学や社会運動の知識を問うものもあったため、全体としてやや難しかった。
● 問1は、ヘボンと浦上信徒弾圧事件の語句組合せ問題であった。空欄アではリード文中の「宣教師」という語句から、建築家のコンドルが誤りであることを判断する必要があった。また、空欄イでは、「長崎」という語句から出島を選ぶのではなく、リード文をよく読み、空欄の前後が浦上信徒弾圧事件をさしていることを想起する力が求められた。
● 問2は、明治期の教育や医療・衛生に関する文章選択問題であった。コレラの流行や北里柴三郎などの事項は、ふみ込んだ学習が必要な内容であり、判断に迷った受験生もいたであろう。
● 問3は、明治期の社会・言論・文芸に関する文章選択問題であった。日本初の社会主義政党が社会民主党であることは基本事項であるため、取り組みやすかったであろう。
● 問5では、日清・日露戦争前後における日本の外交に関して出題された。現行の学習指導要領にある「世界の中の日本」に則した出題といえる。日清・日露戦争の背景や結果を想起できたかがポイントであり、差がつく問題と考えられる。
第5問「手塚治虫と近現代の政治・社会経済」
● 日本史Bとの共通問題。日本史Aとしては、やや難しい出題であった。詳細は日本史B第6問参照。
第6問「1920年代以降の日本の政治・外交」
● Aは1920年代後半以降の政治・外交、Bは1930年代後半以降の政治・外交・文化、Cは戦後の政治・外交について出題された。高度な知識が求められ判断に迷う出題もあったため、全体としてやや難しかった。
● 問1は、協調外交を推進した外相である幣原喜重郎と、政党内閣が終わるきっかけとなった五・一五事件を選ばせる語句組合せ問題であった。両方とも基本事項であるため、積極的に正答を選べたであろう。
● 問2では、ワシントン海軍軍縮条約とロンドン海軍軍縮条約に関する2文の正誤判別問題が出題された。Yの立憲政友会でやや迷った受験生もいたであろうが、リード文中の立憲民政党をきちんと読んでいれば、立憲政友会が野党であるため誤りと判断できた。
● 問3では1930年代の思想・言論への統制について出題された。滝川幸辰、人民戦線の結成は昨年も出題された事項であったが、受験生が苦手とする分野であるため、事前の演習量によって差がつく問題と考えられる。
● 問4は、日中戦争から対英米開戦までの日本の対外政策に関する年代整序問題であった。日ソ中立条約や日独伊三国同盟(三国軍事同盟)の時代判別は難しく、苦戦した受験生も多かったであろう。
● 問5では、アジア太平洋戦争(太平洋戦争)期の国民生活に関して出題された。aの小学校が国民学校に改められたという知識はやや細かいが、正しい内容の文章であるb・cが基本事項であるため、難しくなかったであろう。
● 問7では、サンフランシスコ平和会議について出題された。Xの会議に不参加だった国や調印した国などに関する知識は入試でも頻出事項であるため、きちんと整理できていれば難しくない。しかし、Yの小笠原返還の時期判断は難しかったため、差がつく問題と考えられる。
● 問8では、1950年代から1970年代にかけての政治・外交について出題された。55年体制で合同した政党は基本知識であるが、戦後からの出題であるため、学習が追いついておらず苦戦した受験生もいたであろう。
● 日本史Bとの共通問題。日本史Aとしては、標準的な出題であった。詳細は日本史B第5問参照。
● Aは明治期の文化、Bは明治期から大正期の文化・外交について出題された。受験生が苦手とする自然科学や社会運動の知識を問うものもあったため、全体としてやや難しかった。
● 問1は、ヘボンと浦上信徒弾圧事件の語句組合せ問題であった。空欄アではリード文中の「宣教師」という語句から、建築家のコンドルが誤りであることを判断する必要があった。また、空欄イでは、「長崎」という語句から出島を選ぶのではなく、リード文をよく読み、空欄の前後が浦上信徒弾圧事件をさしていることを想起する力が求められた。
● 問2は、明治期の教育や医療・衛生に関する文章選択問題であった。コレラの流行や北里柴三郎などの事項は、ふみ込んだ学習が必要な内容であり、判断に迷った受験生もいたであろう。
● 問3は、明治期の社会・言論・文芸に関する文章選択問題であった。日本初の社会主義政党が社会民主党であることは基本事項であるため、取り組みやすかったであろう。
● 問5では、日清・日露戦争前後における日本の外交に関して出題された。現行の学習指導要領にある「世界の中の日本」に則した出題といえる。日清・日露戦争の背景や結果を想起できたかがポイントであり、差がつく問題と考えられる。
第5問「手塚治虫と近現代の政治・社会経済」
● 日本史Bとの共通問題。日本史Aとしては、やや難しい出題であった。詳細は日本史B第6問参照。
第6問「1920年代以降の日本の政治・外交」
● Aは1920年代後半以降の政治・外交、Bは1930年代後半以降の政治・外交・文化、Cは戦後の政治・外交について出題された。高度な知識が求められ判断に迷う出題もあったため、全体としてやや難しかった。
● 問1は、協調外交を推進した外相である幣原喜重郎と、政党内閣が終わるきっかけとなった五・一五事件を選ばせる語句組合せ問題であった。両方とも基本事項であるため、積極的に正答を選べたであろう。
● 問2では、ワシントン海軍軍縮条約とロンドン海軍軍縮条約に関する2文の正誤判別問題が出題された。Yの立憲政友会でやや迷った受験生もいたであろうが、リード文中の立憲民政党をきちんと読んでいれば、立憲政友会が野党であるため誤りと判断できた。
● 問3では1930年代の思想・言論への統制について出題された。滝川幸辰、人民戦線の結成は昨年も出題された事項であったが、受験生が苦手とする分野であるため、事前の演習量によって差がつく問題と考えられる。
● 問4は、日中戦争から対英米開戦までの日本の対外政策に関する年代整序問題であった。日ソ中立条約や日独伊三国同盟(三国軍事同盟)の時代判別は難しく、苦戦した受験生も多かったであろう。
● 問5では、アジア太平洋戦争(太平洋戦争)期の国民生活に関して出題された。aの小学校が国民学校に改められたという知識はやや細かいが、正しい内容の文章であるb・cが基本事項であるため、難しくなかったであろう。
● 問7では、サンフランシスコ平和会議について出題された。Xの会議に不参加だった国や調印した国などに関する知識は入試でも頻出事項であるため、きちんと整理できていれば難しくない。しかし、Yの小笠原返還の時期判断は難しかったため、差がつく問題と考えられる。
● 問8では、1950年代から1970年代にかけての政治・外交について出題された。55年体制で合同した政党は基本知識であるが、戦後からの出題であるため、学習が追いついておらず苦戦した受験生もいたであろう。
● 日本史Bとの共通問題。日本史Aとしては、やや難しい出題であった。詳細は日本史B第6問参照。
● Aは1920年代後半以降の政治・外交、Bは1930年代後半以降の政治・外交・文化、Cは戦後の政治・外交について出題された。高度な知識が求められ判断に迷う出題もあったため、全体としてやや難しかった。
● 問1は、協調外交を推進した外相である幣原喜重郎と、政党内閣が終わるきっかけとなった五・一五事件を選ばせる語句組合せ問題であった。両方とも基本事項であるため、積極的に正答を選べたであろう。
● 問2では、ワシントン海軍軍縮条約とロンドン海軍軍縮条約に関する2文の正誤判別問題が出題された。Yの立憲政友会でやや迷った受験生もいたであろうが、リード文中の立憲民政党をきちんと読んでいれば、立憲政友会が野党であるため誤りと判断できた。
● 問3では1930年代の思想・言論への統制について出題された。滝川幸辰、人民戦線の結成は昨年も出題された事項であったが、受験生が苦手とする分野であるため、事前の演習量によって差がつく問題と考えられる。
● 問4は、日中戦争から対英米開戦までの日本の対外政策に関する年代整序問題であった。日ソ中立条約や日独伊三国同盟(三国軍事同盟)の時代判別は難しく、苦戦した受験生も多かったであろう。
● 問5では、アジア太平洋戦争(太平洋戦争)期の国民生活に関して出題された。aの小学校が国民学校に改められたという知識はやや細かいが、正しい内容の文章であるb・cが基本事項であるため、難しくなかったであろう。
● 問7では、サンフランシスコ平和会議について出題された。Xの会議に不参加だった国や調印した国などに関する知識は入試でも頻出事項であるため、きちんと整理できていれば難しくない。しかし、Yの小笠原返還の時期判断は難しかったため、差がつく問題と考えられる。
● 問8では、1950年代から1970年代にかけての政治・外交について出題された。55年体制で合同した政党は基本知識であるが、戦後からの出題であるため、学習が追いついておらず苦戦した受験生もいたであろう。
5.過去5ヵ年の平均点(大学入試センター公表値)
年度 | 2013 | 2012 | 2011 | 2010 | 2009 |
---|---|---|---|---|---|
平均点 | 41.64 | 48.74 | 52.01 | 48.42 | 46.51 |
データネット実行委員会 駿台予備学校/ベネッセコーポレーション